みなかさんと美容院(産休直前編)

 みなかさんちょっと、某文学賞の授賞式に出る予定があり(脳内で)、もさもさヘアーをそれまでにどうにかしないといけないと思っていたのと、

 いつもお世話になっている美容師さんが、ぼちぼち産休に入られるということで、7月末までに行かないといけない(と思っていたが、実は6月末までで、

 美容師さんが「来てくれてよかった、今月末までなんですよ」と言っているのを、「今月を7月と勘違いしてる?この人頭大丈夫かな?」と思ったが、頭がおかしいのはみなかさんのほうだった!)、というのは頭にあって、

 ふと美容師さんの出勤スケジュールを見ると、授賞式(脳内スケジュールでは6月末)、までにみなかさんが施術してもらえそうな日が、明日しかないやん、

 ということで(なんかやたらとみなかさんの休みと美容師さんの休みがかぶる。みなかさんをデートに誘おうと思って休みを合わせているけど、勇気が出なくて誘えない、という状態なのかも)、

 急いで予約して行ってきましたよ、というお話でした。ほんとに7月末までだと思っていたので、脳内授賞式に救われた感じで、みなかさんわりとこういう、ギリセーフ運は持っているなと感じます。

 普段は貧乳の美容師さん、見事に妊婦ボディになっておられまして、「期間限定巨乳ですね!」とかは言わなかったのですが、「みなかさんまゆ毛きれいに生えてますよねー」「『まゆ毛トリマー』っていうの使ってるんですよ」みたいな話とか、

 子供の名前決まってるんですか、てきな話とかをしました、誰かが言っていたのの受け売りなのですが、美容師さんとの会話微妙気まずい、みたいなときは、

 こちらから質問してしまうといい、みたいなテクニックがあって、みなかさんわりと使うのですが、特に美容師さんが女性の場合、女子は「うんうん。そうだよね」と話を聞いておいてあげればだいたいオッケーな生き物らしいですから、

 話を振り、向こうが勝手にしゃべってくれることに対して、適当にリアクションしておけばいいので、わりとおすすめです(彼女に対しては、そんなふうには思っていず、普通におしゃべり楽しいですよ)。

 脱糞、じゃなくて脱線しますが(いちおう、ずっとお世話になっている美容師さんの、結婚、妊娠、出産、を目の当たりにして、という流れはあるが)、今日なんとなく思ったのは、人は殻と中身に分けることができで、殻と中身はセパレートというか、

 人生とかそういうのをやるのは殻の部分で、そちらが生き物としての一般的なパートなのですが(結婚とか出産とか、生きて交尾して繁殖、遺伝子を残す、てきなライン。人間以外の大部分の生き物はそれだけで成立している、ように見える)、

 人はそこに中身、生き物のなかで人間だけ(かは分からない)が持っている、知性とでも言うのでしょうか、それが絡んできてしまうので、本来なら殻の部分のみが、生き物としてのパートだけをやっていればいい(それで人生が済む)はずが、ややこしくなってしまうというか、

 生き物としての部分と、人間としての部分と、両方あるから大変なのかしらというか、二つは本来まったく関係ないはずなのですが、勝手に絡ませてしまったり、人間社会で生きていくには絡ませざるを得なかったり(これがいわゆる「恋愛と結婚は別」みたいなやつなのかも。

 感情だけで繁殖してしまうと、堕胎含む、子供の命があれになることが起こりがちな印象だが、でも動物の世界って、そもそもそういうことがデフォというか、何割か運よく生き残って種が存続すればいい、というのが基本で、

 自殺ダメとか堕胎ダメとか恵まれない子供たちを助けようとか、なんかその、知性からの個性で「一人一人かけがえのない」、みたいなことになっているのかもしれませんが、動物ベースで見ると、それはとても欲張りというか不自然というか、無茶なスローガンですよね、

 運悪く死ぬ個体がいるのが当然なのに、全部助けなきゃダメみたいな雰囲気というか、もちろん個体数が多いほうが種の存続には有利かもしれませんが、そういう理由からではなく、倫理的に、とか言ったりして、

 もしかしたら本能的なものを人間の言葉で代替的に表現しているのかも、「孕ませたい」の代わりに「好き」って言ったりとか)、とかいうことを思いました(もう、カッコ部分のスタートがどこだったか忘れてしまいながら)。

 要はこう、殻と中身があっていいんじゃないかというか、「人間だもの」に加えて、「動物だもの」を使えるハイブリッドが人間なのではないかというか、

 とにかく生き物としてのラインと、人間的なあれやこれやの関係のなさというか、たとえば「不倫」という動物的にはわりと自然な行動と、「芸能人」みたいな、人間しか気にしないようなカテゴリ分けを絡める意味のなさというか、

 そういう、殻と中身の本当は独立している感じ、というか、みなかさんの、本を出すという行為の、(生き物ラインの)人生の進行との関係のなさとか(べつに本を出さなくても結婚して家庭を持つことはできる)、

 年収、みたいなのっていかにも人間ワールドの基準っぽく思えますが、動物で言う「えさをたくさんとってくる能力」に相当するのだとすると、年収や経済力で結婚相手を選ぶのも、

 生存本能に忠実なだけというか、実は自然なことだったりして、とか思ってみたり、「これは動物部分か、人間部分か」という観点でいろいろ見てみると、おもしろいかもしれないよ、というお話でした(美容院の話はどこへ)。