みなかさんとすき家のウニャドロロン

 仕事帰り、地元近くの、マトリョーシカって感じのお姉さんと、中国マフィアって感じのお兄さんが(店員さんとして)よくいるすき家に向かうみなかさん。

 マトリョーシカはともかく、中国マフィアの人がちょっと怖くて(目が笑っていない、すわっている。2~3人殺めているか、お薬をやっているか、という雰囲気)、

 でもお薬がいい感じにキマっている時間帯に当たるのか、最低限の対応はしてくださるので、特にいやな思いはしたことがありません、ちょっと怖いだけです。

 中国マフィアさんに商品をオーダーし(弾丸9000発とかではない)、しばらくすると、マトリョーシカさんが「ウニャドロロン!」とか言いながらみなかさんのほうを見てきて、

 みなかさんはウニャドロロンという名前ではないですし、もちろんウニャドロロンなんてものは絶対に注文していないのですが、たぶん「うなとろ丼」のことだというのは分かったので、袋を受け取って持ち帰るみなかさん。

 

すき家のうなとろ丼。とろろ袋がパックに詰められており、パックに直にとろろが入っていると思って見た際、黒い異物(袋に書いてある文字だった)が混入している、とびびったみなか

 

 動物性タンパク質(特に獣肉)、を夜に食べるのは控えるキャンペーン中のみなかさんが、すき家で持ち帰りできるものはないかと考え、苦肉の策としてのうなぎ(魚寄りなのでセーフ気味?)でしたが、

 おいしいかおいしくないかと言われると、「よく分からない」というのがリアルなところで(あとわさびがついていなくて残念だった)、

 この「よく分からない」というの、なんだかある気がして、たとえば「健康のために、ダイエットのために」、と、味気ない、均一な感じの、微妙なねちょねちょしたものを食べるときのような感じというか、

 「おいしい/おいしくない」って、もちろんそんなものは存在しなくて、基本的には「ただそういう味のものがあり、それがその人の味覚に合っているかどうかだけ」、という認識なのですが、

 それに加えて、「おいしい/おいしくない」という観点をもって食べたときにしか発生しないのではと思ったというか、

 「とにかくお腹を満たすために」、というときに「おいしい/おいしくない」は気にしないし(おいしいほうがいいが)、ダイエットや健康のために、というときにも切り捨てられがちだし、

 あとは「食べてみたかった」みたいな、「興味を満たすため」、とか、「ブログに書くため」、とか、「お金使いたかっただけ」、「高いの食べて自慢したかっただけ」、とか、

 そういうときは「おいしい/おいしくない」は二の次になるというか、気にされないというか、

 「とにかく結婚したい」という人が、「イケメン/そうではない」を気にしなかったり(イケメンのほうがいいだろうが)、保険金目当ての人は「余命長い/余命短い」が判断基準だったり、

 「おいしい/おいしくない」って食べものの評価基準のうちのひとつでしかないというか(主に「グルメ」という目的の際の)、

 「おなかいっぱいになる/ならない」とか、「体にいい/悪い」とか、「高い/安い」とか、そっちのほうが重要で、「おいしい/おいしくない」の基準から遠ざかりがちな食生活を送ってる人っていると思うんですよね、

 とかなんかそんなことを思いました(「おいしい/おいしくない」がすべてではないので、「おいしいと感じる食事をとれていない」と、みじめな気分になることはなく、自分の信念をもって、自分の基準で食事をすればよいということ)。