みなかさんと新年とお金センスとリスク

 西暦がちょっと変わるくらいで突然変異みたいに、みなかさん急に進化したりしませんから、新年が自分に何かもたらしてくれるみたいに思っている人は、いつまでたっても昨日と同じ自分のまま、昨日と同じ毎日を繰り返すと思います、みなかさんです(どんより)。

 知人が仮想通貨で5000万儲けたみたいな話を聞き、ブームとは知っていましたが、いよいよ身内にそういう人が出てくるとバビったみなかさんですが、正直みなかさん彼のことは、あまりよく思わなかった時期もあり、

 彼にインスパイアされ、ブログで「こういう人やだよねー(ねちねち)」みたいなことを書いたことがあった気もするのですが、ことお金のことになると、彼の機動力、チャンスをかぎつけるセンス、勝負強さ、はもう明らかにみなかさんとは別次元で、

 とか思ってしまうのがいけないのかなというか、「俺センスないからさ~」みたいなのってたぶん努力したくない人の言い訳で(彼は努力してそれを手に入れたのだ)、とかいろいろ考えちゃうみなかさんの思考癖(ぐせ)が問題なのかなとか、

 なんの話だっけ、そう、新年新年言ってるのどうなの、時間って人が勝手に決めたものだから、元旦ってみなかさんが「今日をみなか暦の1月1日とする」とか言い出すのと同レベルだよ、とは思うのですが、

 職場でふるまわれたお寿司(社長ありがとう!話しかけてこないでね!)とケンタッキーは大変おいしく、みなかさん少しテンション上がりましたし、

おそらく銀のさら産。「お寿司(生もの)食べられない」という人たちが、「これなら食べられる」と、カニとか海老とかを独占していて(なんか、「気の毒だから、食べられるものだけ優先的にそういう人たちにあげよう」ということで)、カニを食べれず、ほんの少しだけ納得いかない気持ちになったみなか

 急にブログを更新しだしたりもして、人はメンタルに左右される生き物ですから、「新年だから!」という中身のない形式的なモチベーションでも、ポジティブな結果に結びつきさえすれば、新年大いにアリなのかもしれません(破綻)。

 お金センスの話に戻って、それって遺伝と育ちで決まってしまっている部分が多い気がして(努力不足の件はひとまず置いておく。みなか調べによると、家が自営だとお金センスが高い場合が多い印象)、

 鬼ヶ島さんもいいとこのお嬢様なので、お金センスは高いと思われるのですが、以前、「ふぐ食べにいこう!ふぐ!」って鬼ヶ島さんが言ってきて、みなかさんは「毒が怖いから無理です。死ぬなら一人で死んでください」と返したら、

 そこからラインのスタンプ攻撃と無言電話が一週間続いたのですが、そういう、(研究中なので、見当違いなことを言っている可能性がありますが)リスク回避よりも、好奇心や興味、好みを優先させることができる、というのがお金センスの要素としてひとつあるのかなというか、

 食べものに関して、みなかさんはできるだけ安全で、できるだけ安い、入手が簡単な、そこそこの味のものをずっと食べていればいいやという人なので(でもパックごはん、インスタント味噌汁、さば缶、は、引きこもり時には食べるが、

 あまり気が進まないから、実際はそこよりは少しぜいたくかも)、ふぐとか食べる必要性を感じず、でもお金センスのある人はリスクを恐れずふぐにチャレンジする、みたいな、たとえばそれを原始時代っぽく動物っぽく表すと、

 みなかさんは生まれた土地で「僕はここで木の実を食べているからいいよ」と、動こうとせず、鬼ヶ島さんは、「海の向こうにもっとおいしいのありそうだからじゃあね!」と、海を渡って移動する感じで、

 普通に考えると(これがもう、みなかさんの性格で補正された負け組チックな「普通」なのかも)、おいしいものを発見できる確率よりも、海でサメに食べられる確率のほうが高そうなのですが、もちろんそうなった人も多数いるでしょうが、リアル人生での体感的に、

 むしろ前者の生活のほうが、キ○ガイが現れて木を切り倒したり、木の実をぜんぶ持っていったり、パリピが木の下でバーベキューやって木を全焼させたり、みたいなイベントが起こってカジュアルに害されがち、平穏にずっと続けるのは難しい、という気がすごくしていて、

 みんながみんなそれ(生まれた土地で木の実生活)を望むからブッキングしまくって、レベルの低い人たちが密集して、ますます不快な出来事の発生率が高くなるとかなのですかね、ガストは混雑して居心地悪いが瀬里奈(を知っているということをアピール)は快適、みたいな。

 あとは、ずっと同じお店に通い続けるとよくないことに遭遇する確率が上がる(確率が上がるわけではないのだが)、というのはみなかさん過去に思った説で(飲食店に限らず、日常生活全般について)、

 たとえばワッキーな店員さんが10パーの確率でシフトに入っているお店に、ふらっと一度だけ入って臭い確率は10パーだが、10回通えばほぼ必ず一回は臭いという計算になり、これは大きな違いで、

 つまりずっと同じ生活を続けるということは、ある意味ロシアンルーレットを全弾自分に向けて発射し続けている最中と同じことで、

 あとは、自分で動いて起こることはいい結果な場合が多い(気がする)が、待っていて向こうからもたらされるのはだいたい不幸かトラブルしかない、というのも体感としてあったり、うん、とにかくなんか、そんなようなことを新年早々考えていました、みなかさんでした。