みなかさんと台風19号と荒川氾濫と避難(避難所編)

 10月12日、台風19号はまだ来ていないというのに、みなかさんの地元、朝からコンスタントにそれなりの量の雨が降り続けており、「荒川氾濫、みなか水没」というのが頭にあったせいで、危機感が増幅されていたせいもあったのかもしれませんが、

 それ抜きでもけっこう異常事態というか、あまり経験したことのない状況(雨ずっと降ってる)に思えて、「これにさらに台風が加わったら本気でやばいのでは」と思い、荒川の水位情報なんかを見つつ、避難しようかどうしようか迷っていたのですが、

 夕方ごろ、町内会のおじさんと思われる人が避難(または2階以上にいろ、とか)を呼びかけて町内を回っていたり、近所のおばちゃんが「○○(みなかさんのガチ名字)さ~ん?避難しないの~?」と、玄関のドアを叩きながら、(おそらくみなか母を)避難のお誘いに来ている声が聞こえてきたり、

 これはいよいよかなとなってきたので、覚悟を決め(あまり遅くなっても台風が近づいて風が強くなってきて、避難が大変になりそうだったので)、荷物をまとめ、近所のおばちゃんが「あそこに避難すべし」と言っていた情報をたよりに、みなかさんの地元の小学校(ガチ母校)へと出発したのでした。

 台風が過ぎたらすぐに帰ってこれると思っていたので、荷物は通勤のときと同じバッグ(エルメスのガーデンジップの、たぶん大きいやつ)に、自宅デスクトップ内の原稿系のファイル類をコピーしたハードディスク、いつも職場に持参する、ナルゲンボトルに作ったルイボス茶、

 最近おつまみ用に買ったセサミスナック&アーモンド、貴重品、スマホ(と充電器)、ワイマックス(はACアダプタを持っていくという頭がなかった)、ヴェポライザー(とその充電器)とシャグ、あとはティッシュとか油とり紙とか、もともとバッグに入っていた職場持参用ラインナップ、をそのまま持っていきました。

 

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台風19号の際に避難した三砂小の写真

みなかさんの母校(小学校)。みなかさんの記憶では、昔は周り(特に写真で正面に見えているあたり)がこんなに開けて見通しいい感じではなかったというか、林っぽい感じになっていたような気がするのですが、中学や高校のときの記憶とミックスされているような気もして自信がないです

 

 小学校は、正直いつも行っているイオンの近くなので、毎週のように前を通り過ぎたりはしていたのですが、入るのはおそらく20年オーバーぶりとかで、たぶんもう何度もリニューアルされてエレベーター(給食ワゴン用のではない)とかもついていて、みなかさんの知っている母校とは(ハード部分は)完全に別物のようでした。

 校門は普通に開いていて、玄関もオープン状態だったのですが、みなかさんは外で受付っぽい人が、「こちらです」みたいな感じでウェルカムしてくれるのを想像していたのですが(読者様:「店かよ」)、そういうのは特になく、無人状態で、

 でも校舎内に入ると制服、なのか作業着なのか、を着た、おじさんたちがわりとがっつりめの人数待機している様子で(パイプ椅子に座って雑談していたり、会議机で受付っぽいものを作ってスタンバイしていたり)、でも前をウロウロしてみても特に声をかけてくれたりはしない。

 まさかみなかさんはすでに避難前に荒川の氾濫で死んでいて、それに気づかず霊魂だけがさまよっている状態で(自分が死んだことに気づいていない!)、おじさんたちにはみなかさんが見えていないのかも。不安定な気持ちになり、白目をむきがくがくとふるえだすみなかさん。

 仕方ないのでおじさんたちのところへ行き、「すみません、家が水没しそうなので避難してきたんですが」と、聞いたことない感じの申告をして、ちょろっと雑談したのですが、おじさん、「俺がいる限りここは大丈夫だ」みたいな頼もしいことを言ってくださったり、

 「あっち(避難勧告が出ているあたり)は全滅だけどね」みたいなダークな冗談を飛ばされたり、おじさんが言うには、「太い土管が通ってるから大丈夫」ということだったのですが、それがこの学校のことだったのか、

 このあたり全般のこと(避難初体験のみなかさんには避難ルールというものがよく分かりませんでしたが、ここに避難してくる人はここの地域の人、と決まっていて、ここに避難してきた=太い土管が通ってるから大丈夫な地域の人=焦って避難してこなくても大丈夫だったのに、という意味だった?)だったのかはちょっと不明でした。

 受付に行くよう指示され、そこで紙に住所と名前と電話番号を書き、500ミリの水ペットボトルを1本いただき、「あっち(当時『ランチルーム』と呼ばれていた気がする部屋。六角形だが八角形だかなテーブルがいくつも置いてあり、パーティー会場のような仕様)はいっぱいだから」と、パイプ椅子の並べられたロビーっぽいところに案内されました、思っていたより人は少なめでした。

 

台風19号の際に避難した三砂小の校舎内の写真

みんなけっこうリュックとかでガチっぽい荷物を持ってきていた

 

 この時点でみなかさん、自分の準備不足に気づいたのですが、まず靴を入れて持ち歩く用のビニール袋が必要だったんですよね(なくなっても死にはしないので下駄箱に入れることに)。あとはみなかさん、部屋の押し入れに、おそらくサバイバルフーズとかの非常食と一緒に入れてあるであろうレインコート、を出すのが面倒だったので、傘を持ってきちゃいましたが(読者様:「みなか避難ナメてるの?」)、

 

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 傘よりは両手がフリーになるレインコートが災害時には正しい選択ですし、「急いでお米炊いた」みたいに言っていた家族連れ(海苔とおにぎりを持参していた)を見ていたところ、食器やレジャーシート(台風一過編で書くと思いますが、ずっとパイプ椅子に座っていると体がひどいことになるので、姿勢を変える意味での寝転がり用に)、なんかも持参していて、それもいいなと思いましたし、

 近くにいたチャイナファミリーは箱ティッシュ(みなかさんの座った椅子の近くに裏口みたいなのがあって、チャイナファミリーの一人がそこから外の様子を見に出て、戻ってきたとき、その箱ティッシュから取り出したティッシュで自分が濡らした床を拭いていて、下手な日本人よりちゃんとしているなと思った)を持ってきていたりしたようで、周囲の人々の避難スキルの高さにびびるみなか。

 あとは正直避難中は暇なので(特にみなかさんのようにぼっち避難だと)暇つぶしアイテムとか(漫画等の本を持ってきて読んでいる人がいた、家か)、複数人での避難なら問題ないのかもしれませんが、みなかさんは一人だったので、荷物の盗難対策が少し必要な気がしました。

 

台風19号の際に避難所でいただいた尾西の五目ごはんの写真

「自主避難だから勝手にやれという方針だけど、せっかくなので」、ということでふるまわれた備蓄品のごはんをいただくみなか(尾西のごはん、昔買って食べたことがある)。非常食なので味はあれでしたが、ゆっくり大事にいただきました。

わりとよく混ぜてから食べたつもりでしたが、まだ味の濃い部分が下のほうに残っていたようで、その場のみんな同じようにそれ(混ぜ足りず、食べている途中に、下のほうに味の濃い部分があることに気づく)を味わっていたなら、なんかおもしろいなと思いました

 

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 おじさんたちは頑張ってくれているのにみなかさんはゲスト扱いで何もしない、という状態が来たときからずっと気まずかったので、台風のピーク前にカーテンを閉める作業とかは率先して手伝ったりしました、

 さっきのチャイナファミリーも、微妙に意味が分かってない感じがありながらも手伝ってくれました(やっぱり地震とかと同じく、外国では台風がメジャーじゃなかったり、慣れていないので被害が大きかったり、ということがあるのか、チャイナファミリーは異常に台風を恐れているようだった)。

 20時ごろだったと思いますが、台風が最接近となる前に、おじさんたちの指示でみんな4階の体育館に移動。すでに何枚か敷いてあった体育マットに、「あれ全部(設置)俺が一人でやったんだよクソッ」みたいにキレ気味なおじさんとともに、みなかさんもマット設置をお手伝い、まさにテレビとかで見る避難所っぽいスペースが完成しつつありました。

 

台風19号の際に避難した三砂小の体育館の避難風景の写真

体育館の様子(漂う避難所感)。校舎内の他の部分と比べて体育館だけは、少し昔の面影が残っているような気がしました

 

台風19号の際に避難した三砂小の体育館の体育マットの写真

懐かしの体育マット。サイド(の側面)部分に取っ手がついていて、当時より運びやすさがアップしているようでした(あと、「入れないと危ない」と噂の、「耳」もなくなっていた)

 

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毛布も貸していただきました。素材の名前が書いてあったのですが忘れてしまいましたが、難燃性、ちょっと独特なにおい(たぶん新品なので、前に使っていた人の体臭とかではない)のする毛布でした

 

台風19号の際に避難した三砂小の校長先生かもしれない人の写真

身長小さめな三人が徹夜でずっと頑張って下さっていました。あとで何気なく母校のホームページを見たら、三人のうちの一人が現校長先生とちょい似で、もしかしたらご本人だったのかも、責任感はんぱないな

 

台風19号の際に避難所でお借りした三砂小同窓会プレゼンツのスリッパの写真

おそらく同窓会プレゼンツのスリッパ。お世話になったしみなかさんも寄付とかできないかな、とあとで探したのですが、やはり公立ということで、そういう感じ(みなかさんの母校の大学はゴリゴリに寄付のお願いとか送ってくる)ではないのか、窓口らしきところが見つかりませんでした

 

 21時~22時すぎ、おそらく台風が東京上空を通過。体育館は4階(天井の形からして、最上階?)だったので、風の音がすごく、「1階のほうがよかった」と言っている人がいました、確かに3階ぐらい(天井を隔てて即暴風雨、ということはないし、水没もしなさそうなので)がベストだったような気もします。

 熊谷あたりの荒川の水位はようやく下がりつつあったものの、まだ氾濫危険水位超過の状態ではあったので(そして下流に水が来るのはおそらくこれからなので)、氾濫から逃げてきたのに台風去ったからといって帰って水没、だと本末転倒なので、一応明け方までお世話になることに。

 相変わらずすることがないので、身長小さめな三人がマットを片づけたり移動させたりしているのを手伝ったりして過ごしたのですが、それ以降、その三人が何かの作業をするたびに、

 「さっき手伝ったし、これも手伝わないと『さっきは手伝ってくれたのに』みたいな感じになるのかな?むしろあの人たち、みなかさんが手伝いにきちゃうんじゃないかと思って作業を始めづらかったりしていないかな?」とか思って、心理的面倒が発生してしまい、難しいなと思いました。

 

台風19号の際に避難した三砂小の体育館の写真

この、体育館のサイドの上のほうの部分に、何か特別なときに上った記憶も、柱の角にぶつかってけがをしないように、というクッションガード(は、中学か高校の体育館だったような気も)も、なんとなく覚えがあるのですが、今やおぼろげです

 

台風19号の際に避難所に持参したルイボス茶と食料(セサミスナック&アーモンド)の写真

いつものルイボス茶と持参食料のセサミスナック&アーモンド。ちまちま飲むようにはしていたのですが(避難当初、緊張だったのかなんなのか、わりとのどが渇いて)、水分、もらった500ミリペットではやはり足りなかったので、飲みもの持参は正解でした

 

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朝にマクロビ派ビスケット2~3個(とミルクティー)、夕方にいただいた備蓄品のごはん、しかこの日は食べていなかったので、深夜さすがに空腹になってきて、適当に持ってきたセサミスナック&アーモンドが役に立ちました(ナッツ類は高カロリーなので、何粒か食べるだけでけっこうしのげる)

 

台風19号の際に避難した三砂小の体育館のひな壇の写真

このひな壇の模様(確かなんか、卒業生がペイントして、それを後輩にプレゼントとして残した、みたいなのだった気がする)、当時と同じだとみなかさんは確信しているのですが、誰かそれを証明できる方はいらっしゃいませんか

 

 エアコンてきな空調の音なのか、体育館内はけっこう大きめな音がずっとしていて、寝られないほどではなかったのですが、荷物が盗難されてもあれだったので(疑)、ほぼ徹夜となりました。

 途中、明け方前、さすがにスマホとヴェポライザーの充電がピンチになってきたので、体育館の入り口あたり(の体育マットに陣取った人が、何かごそごそやっているなと思って見ていたら、そこにコンセントがあるらしいことを発見した)にコンセントを見つけ、こっそり充電しましたが、

 避難所によってはそうもいかないところもあると思うので、モバイルバッテリーはあると便利なのかもしれません(みなかさんは変な充電の仕方をすると機器バグる、という印象があり、なんとなくモバイルバッテリーの使用には抵抗がありますが)。